5月3日深夜通りこして昼

さて寝ようと思ったら電話かかってきて「寝るな。肉を切れ」と言われ、4時間ばかりかけて牛を解体。ハラミ、中落ちカルビ等を取り出し、一口サイズにカット。そんなことを計10時間ばかりして、その途中に先輩からお電話があり「ひさしぶりに貴様と飲みたいよ」という嬉しいことを言われたので、全ての作業を終えて日付もすっかり変わってしまってから居酒屋へ行った。
その先輩は現在東京でADという立派な仕事に就き、日々日曜早朝に放送している旅番組を作っていて多忙であるので、会うのはもう3年ぶりくらい。とても仲良くさせてくださった良い人である。ボクが高校3年生、先輩が専門学校を卒業してフリーターをしていたあたりのほぼ同時期に、お付き合いしていた人からこっぴどくフラれるという憂き目にあい、すっかり落ち込んでしまったボクたちは毎晩のようにカラオケ屋で朝まで、SMAPの『オレンジ』や山崎まさよしの『One more time, One more chance』を絶唱し、ワインを飲んで酔いつぶれるという生活を送っていた。ある日、いつものようにバイトを終えカラオケ屋へ行って泣きながら歌っておったら、バイトの社員が仕事が片付け、ワインのボトルを10本くらい抱えてやってきた。社員がグラスに注ぎ手渡してくるワインを訳もわからず一気飲みしていると次第に意識は朦朧とし酩酊。ふと見ると先輩は床に崩れ落ちて嘔吐。ボクも一人では立つことができず一緒に嘔吐。別の先輩は女子トイレのガラスを叩き割り、手首から血がどくどく溢れ出している。社員に車を用意してもらい肩をかりながら乗せてもらったんだけど、駅前のカラオケ屋の前は一方通行でボクがぐずぐずしていたもんだから京阪バスのダイヤはすっかり乱れ、しかも手首を切った先輩が救急車を出動させ、早朝の駅前は大混乱。あとで聞いたんだけど先輩は手首を10針も縫ったらしい。見せてもらった傷跡は生々しく、また情けなかった。カラオケ屋を吐瀉物まみれにしたボク達はいわゆる出禁になり、その後そのカラオケ屋には指名手配犯のような扱いを受けることになる。ワインもそれ以来苦手になった。
と、そんなこんなで先輩とは仲が良かった。ただ、そのすぐ後に先輩はオーストラリアに放蕩の旅に出掛けてしまったのでそれ以来会ってなかったのだった。居酒屋でビールを飲みながらいろいろ話を聞いてもらったのだけど、先輩の話は「放浪しろ」「日本を出ろ」という2つの言葉で集約できた。ボクは泣いた。